155,000部発行
2007年1月7日
通巻第124号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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星霜録
イラクのフセイン元大統領の死刑が執行された。罪状はクルド人を大量虐殺したのが主な理由▼ブッシュ大統領は自分が持っている大量破壊兵器を棚に上げてその兵器の存在を確かめもせず、イラクを攻撃した。死刑執行は大量破壊兵器でなく、いつの間にか大量虐殺に変えられた▼大量虐殺をいうなら日本に原爆を投下して何10万人も殺したアメリカの責任はどうしてくれるのか。東京裁判というイカサマ裁判≠ナA級戦犯という汚名を付け死刑にさせられた旧日本軍人。勝者の論理は納得がいかない▼イラク攻撃が着々と準備されていた段階でアメリカの卑劣な行動とそれに加担する小泉政権の批判を本欄で取り上げたことがある。大量破壊兵器があるかないかの査察をフセインは受け入れ協力したのになぜ攻撃するかと▼調査して何もなかったにも拘わらずアメリカはイラクを攻撃した。石油資源欲しさにハイテク兵器の性能をイラクを相手に試したかったのだろう。今頃になってイラク攻撃は間違っていたというアメリカの世論が大半を占めるようになってきた。反省しても解決されないどころか、イラク国内の紛争を益々悪化させ収拾が付かなくなってきた▼テロ行為は永遠に収束しないだろう。アメリカに追随した小泉元首相にも大きな責任がある。中東のような宗教上の対立がある国々にはフセインのような強力な指導者が必要なのである。そんな国をまとめてきた強い指導者をアメリカは殺してしまった。(S)

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報道されなかった事件の真相の裏側 5
「下山事件」の取材記者の裏話(2)
 首が、そして顔半分が、さらに片手が。国鉄総裁のバラバラの遺体を最初に発見スクープしたのは新米記者だった。戦後最大のナゾ≠ニなっている下山国鉄総裁事件。日本橋三越に入ったまま行方不明になったのを追って、各新聞社の記者たちが調べたが入った≠フを見たのはいるが出た≠フを見たのは、1人もいなかった。 前号で店内のエレベーターの下に落ちたのではないかと考えた新米記者は1台だけ故障中のエレベーターがあり、床も開けられていた。これだ!$V米記者は無謀にもエレベーターの鉄柱につかまって降りようとした。先輩記者が来て「何をバカな事を考えるんだ」と一喝しなければ、彼はあえなく*まみれになって、エレベーターの底で助けを求めたに違いない。大捜索≠フ結果も、下山総裁は遂に発見されなかった。

下山総裁の遺体を発見した新米記者
 当時、大事件が起きると新聞社では、ほとんどの社員が社内でゴロ寝する。その日も社会部全員が会議室で毛布に包まって寝ることになった。「110番」などという事件専用の電話などなかった頃のことである。だから大事件となると、第1報をいかに早く掴むか、そして号外を出すかが至上の命題≠ノなる。
疲れて全員が寝入っていた夜明け近くのことだった。会議室の電話が鳴った。電話を取ったK記者の耳に、押し殺したような声が聞こえてきた。「警視庁のHだ。デスクのSに伝えてくれ。下山の死体が出たぞ!場所は常磐線の綾瀬駅近くだ」。言うだけ言うと電話はガチャンと切れた。
 「デスク、警視庁のHさんからです。下山の死体が綾瀬駅近くで発見されたそうです」。たちまち室内は騒然となった。
警視庁のH警部と社会部のSデスク(副部長)は、警察官と新聞記者という関係より、深い友情で結ばれていた。
 H警部は各新聞社が血眼になって捜していた下山総裁の遺体発見を捜査員派遣と同時に、Sデスクに教えてくれたのである。
他の新聞社は知らないに違いない。Sデスクの決断は早かった。
「よし!K、お前はすぐ綾瀬へ行け。あとから警視庁クラブの連中を追いかけさせるから。断っておくが、これは大事件になるぞ。下山に間違いなければ号外だ。号外の用意はしておく(テレビなどがない時代だった)。待て!綾瀬と言ったな。あの辺は何もない所だ。田んぼだけだろう。もし下山に間違いないと分かっても、どう連絡をするかだ。公衆電話などあるまい。そうだ!鉄道電話を使わせてもらおう。お前は綾瀬駅で鉄道電話を貸してもらえ。こっちは有楽町駅に頼んで、鉄道電話の前に社員を待機させておくから。とにかく急げ!」。
 先輩記者は、すぐ後に続くことになったが、とにかく現場に飛ぶ≠アとが第一である。写真部員1人と会社の取材用の車で綾瀬駅を目指した。梅雨時で、あいにくこの日は雨足が激しかった。会社を飛び出して綾瀬に向かったが、後ろを追ってくる車はない。「よし、これでウチの特ダネになるぞ」。新米記者の胸は躍っていた。
結果から言うと特ダネというか、号外は一番早かったし、勝ったことは間違いなかったが、それは新米記者≠ェ経験したことのない出来事の連続だった。
まもなく夜も明けようとしていた。しかし梅雨時で、その日も雨が降り続いて、視界が悪い朝だった。
まして綾瀬は当時は都心から離れた郊外である。
「ここが綾瀬なんだが…。待てよ!いけない。田んぼの反対側に出てしまった。駅はこの田んぼの向こう側なんだ」。事件の取材になれていたはずの車両部員のミスだった。
「いいですよ、田んぼを渡って線路に出ますから」。
梅雨時で田んぼは満水状態。しかも雨も降っていた。Kは胸のあたりまで水に浸かった。20メートルほどの距離だが、泥水をかき分ける¥態で、やっと線路に出ることができた。
 夜は明けていた。当時は始発電車も今のように朝早くない。かなり先の方に綾瀬駅が見える。田んぼから線路に、やっとの思いでよじ登った時は着ていた服は泥水だらけになっていた。
「とにかく綾瀬駅に行かねばならないが…。待てよ、何か線路上に痕跡はないだろうか?」。新米記者は幸運だった。彼の目に、まず入ったのは、千切れた片腕だった。「あった!」。
 さらにしばらく行くと切断された腹部の一部が線路上に転がっているのを発見した。胃や腸は飛び散っていたが、夜来の雨で血は流されていた。
「この調子なら、まだ散乱した身体が発見されるぞ」。生まれて初めて見る人体の散乱の、すさまじさに新米記者の足は震えた。会社を出る時のSデスクの言葉が蘇った。「下山総裁に間違いなかったら、すぐ号外だからな!」。心細いことに、先輩記者はまだ到着していない。片腕と腹部だけで、国鉄総裁と断定していいだろうか。でも少しでも遅ければ、他の新聞社に追いつかれてしまう。
とにかく綾瀬駅まで行かねばならない。歩き出した彼の目に、次々と無惨なものが飛び込んできた。
 脳ミソがなく皿を裏返したような頭部、手首のない腕、頭半分がない顔らしきもの≠フ一部。それはすさまじくもあり、無惨極まりない、二度と見たくない、思い出すことすらしたくない地獄≠フような光景だった。だが、これだけで「下山国鉄総裁の遺体の一部である」と断定していいのか。本社では号外≠フ用意をして待っている。彼は焦った。ここで新米記者≠ヘ確証を発見するのである。
 他の新聞社はもちろん、先輩記者たちが現場に到着する前に…。(つづく)

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学校物語106 千葉大和高等学院
不登校の生徒たちをサポートする学校
 千葉市中央区弁天にある「千葉大和高等学院」は、主に不登校の生徒たちの通信制サポート校として平成14年11月に開校した。十数年前から不登校や引きこもりに関する相談の仕事に携わっていたという後藤康夫校長は、深刻な状況を憂え、不登校の生徒たちの受け皿になる学校を作りたいと考えた。「最も大切な時期に成長のチャンスを逸している状態は子どもたちにとっても社会にとっても損失だ。不登校の子どもたちは自信が持てず、自力で生きる力が弱い場合が多いので、当校では勉強および心のサポートの両方を実践している。学習意欲を持たせる支援と対人関係強化のための取組みにも力を入れている」と話す。 同学院は「自分自身のための、新しい学校生活が始まる」を合言葉に、生徒一人一人の個性とペースを尊重し、能力が最大限に引き出されるように様々な支援をしている。
「自ら考えて行動できる人間・自分と等しく他人を尊重できる人間・辛抱強く目標に向かって努力できる人間・基本的生活習慣を身につけて礼儀正しい人間・真に実社会で活躍できる人間」の育成に努力している。生徒数は約250人。千葉市をはじめ船橋市や木更津市、八千代市、佐倉市、茂原市など、県内各地域から通学している。
 同学院は提携している「青森山田高等学校」の広域通信制課程に所属するが、高校通信制課程を卒業するには(1)レポート提出(2)スクーリングへの出席(3)定期試験の受験(4)特別活動への参加が条件になる。
 週3日の授業の他、補習もあり、基礎学力を無理なく楽しくマスター。特別授業には職場体験、講演会・社会人特別講座では業界の第一人者を講師に招き楽しく学習。経験豊かなスクールカウンセラーが常駐し、生徒の学習面やメンタル面などの相談に対応している。高卒の資格を取得した卒業生の多くは、大学・専門学校への進学・就職をする。「自分の個性と能力を開発し、将来に向けてのチャンスを最大限に広げたい人たちの入学を期待している。ナンバー1よりもオンリー1が大事だ」と後藤校長は語った。大和高等学院Tel.207・6030   【取材・浦野美智子】

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市民ガイド
千葉市美術館
(1)竹久夢二展
-描くことが生きること-本展は竹久夢二の代表作を集めその全体像を探ろうとするもので約350点の作品から多才な芸術家竹久夢二を検証します。▼会期1月20日(土)〜2月25日(日)開館時間・10:00〜18:00(金・土曜は20:00まで)休館日第一月曜▼入館料・一般800円(640円)大高生560円(450円)中小生無料(カッコ内前売り団体料金)
(2)鈴木鵞湖-幕末に活躍した郷土の画家-鈴木鵞湖は今の船橋市金堀町に生まれ、幕末の江戸で画家として活躍した。本展では子孫の家に伝わる作品、鵞湖と交際のあった幕末明治の偉人松浦武四郎旧蔵作品を含む62点で鵞湖の画業をはじめて本格的に紹介する。▼入館料・一般200円(160円)大高生150円(120円)小中生無料▼会期・時間は「竹久夢二展」と同じ▼問い合せ・C221-2311

市内高校美術工芸作品展
▼会期・1月16日(火)〜21日(日)時間・10:00〜18:00*19.20日は20:00まで▼会場・千葉市美術館9階市民ギャラリーC221-2311(入場無料)▼参加校・(県立)・千葉高校・千葉女子高校・千葉東高校・千葉北高校・若松高校・千葉南高校・千城台高校・生浜高校・土気高校・検見川高校・磯辺高校・千葉西高校・幕張総合高校(市立)千葉高校・稲毛高校。

在宅ケア研修会
▼日時・1月21日(日)13時〜17時▼会場・ホテルぱるプラザ菜の花(モノレール県庁前駅前)▼内容・(1)講演・「地域に広げる緩和ケア」講師・阿部まゆみさん(広島県緩和ケア支援センター)(2)パネルディスカッション▼定員200名(電話先着順)▼申込・問い合せ・千葉ヘルス財団(県疾病対策課内)C223-2663

フラワーフェスティバル
千葉県は全国2位の花の産地です。県内各地から素晴らしい花が集まる一足早い春の訪れを満喫してください▼日時・1月10日(水)〜15日(月)10時〜19時30分(15日は12時まで)▼会場・三越千葉店8階催事場▼内容・(1)共進会(コンテスト)(2)展示コーナー・農水大臣賞、県知事賞など受賞作品展示、各種団体によるディスプレイ等(3)花と親しむイベント・フラワー教室、ミニコンサートほか(4)花の販売▼県生産振興課C223-2873

第32回市民凧あげ大会
新春恒例の市民凧あげ大会が今年は1月14日午前10時から午後3時まで美浜区のいなげの浜で開催される。参加費無料、デザインの優秀な自作の凧には賞品が出る。

ギャラリー古島
▼1月12(金)〜1月22日(月)「櫻岡恵ニット展」-染・紡・編-(18日休廊)▼1月26日〜1月31日(月)「甦る古布展」田中みち子・岩澤啓子▼問い合せ・C243-3313ギャラリー古島(JR西千葉駅徒歩1分)

こみなと稲毛ギャラリー
▼1月9日(火)〜14日(日)第6回平成美術会新春展(絵画)▼1月16日(火)〜28日(日)篠崎輝夫画伯素描展▼1月30日(火)〜2月11日(日)小湊鉄道フォトコンテスト入賞作品展▼問い合せ・会場申込・C252-4713

花光ランチタイムコンサート
▼日時・1月19日(金)12時お食事12時半開演★2,500円(お食事、お茶つき)▼演奏・ピアノ友田恭子、直江弘子、、片岡和子マリンバ内藤好美トランペット酒井清志▼曲目♪ロンドンデリーの歌、モーツアルトピアノソナタ「トルコ行進曲つき」▼問い合せ・C271-0002(花光)

第23回青廊会ソロリサイタル
(1)日時・1月21日(日)開演13時▼会場・千葉市生涯学習センター(JR千葉駅徒歩8分)▼出演者18名特別出演2名(2)日時・1月28日(日)開演11時30分▼会場・千葉市文化センターアートホール(JR千葉駅徒歩10分)▼出演者26名特別出演2名▼入場無料(整理券あり)問い合せ・TEL・FAX422-9602(高尾)270-2744(山口)

気功体験参加者募集
▼1月16日(火)1月23日(火)▼場所・穴川コミュニティセンター(稲毛区役所隣)▼講習時間・午前10時〜12時当日会場で受付▼参加費無料初心者歓迎▼問合せ・穴川気功の会C251-8863(綱川)

英会話サークル
▼小中台公民館=第1・第3木曜午前9時半〜11時半(外人女性講師、月4時間4,800円)午後6時45分〜8時15分(外人男性、月3時間4,500円)どちらも入会金なし。C258-9752(岩間)

カルチャーセンター稲毛 生徒・教室利用者も募集!
会議・研修会にもどうぞ。ステンドグラス、マミフラワーデザイン、トールペイント、英会話、油絵、書道、ろう造花、手書き染め等。問合せはC244・3989【無料建築相談会】初めての家づくりプランニングから業者選び、資金計画まで▼日時・1月27日(土)午後1時〜3時▼問い合せ・アイム設計C244・3989

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今月の人
有吉純音楽事務所代表・有吉 純さん 62歳
「花の都・ちば」の歌をレコーディング
1月28日若葉文化センターで歌謡ショー
 八日市場市出身で千葉市若葉区在住の有吉純(本名・玉澤宏)さんは、中央大学法学部を卒業後、(株)東急ホテルチェーンに入社しフロントの仕事を担当。昭和55年に退社後は土木会社を約15年間経営した。平成16年3月に、知人の紹介もあり、生活保護者の人の福祉施設である自立支援センターを市内に立ち上げ、就職などの支援活動を行っている。多忙な日々を過ごす有吉さんは別の顔を持つ。
 若い時から歌が好きだったという有吉さんは、35歳の時にレコード会社のオーディションに合格。歌のレッスンを受け、レコードデビューの話もあったが、もらった歌が気に入らず断念。その後は仕事に専念していたが、また歌いたいという気持ちが強くなり、8年ほど前に歌のレッスンを再開。平成12年に、日本エンカフォンレコードから「東京サパータイム」・「愛しき山河」でCDデビューを果たした。作詞も手がけるという有吉さんは、「東京サパータイム」の作詞も担当。その後、平成13年には「小泉さん達者かな」、平成14年には「北極星(ほし)と輝け」・「東京―札幌」を発売。平成18年には、知人の働きかけもあり、千葉市とタイアップして「花の都・ちば」を歌うことに。作詞は有吉さんが担当した。
平成18年9月、パインスターレコードから「東京―パリ」「花の都・ちば」のCDを発売。「東京―パリ」は、昭和43年に橋幸夫さんの歌でヒットした歌謡曲。「花の都・ちば」はバラード調の美しい曲だ。
「千葉市をアピールするために、稲毛の浜やキョウチクトウ、オオガハス、桜の花などをイメージして作詞をした。
 バラード調で覚えやすい歌なので、多くの人にカラオケで歌って欲しい。歌が広まり、千葉市の宣伝に役立つことができれば嬉しい」と語る有吉さんは、毎週木曜日の25時からラジオ日本で放送中の「それ行け!歌謡道中」のパーソナリティも務める。また、平成12年からこれまでに10回、チャリティーコンサートを企画し開催している。
 今年は1月28日(日)の午後12時30分から千葉市若葉文化ホールで「新春歌謡チャリティーコンサート」を開催する。   【取材・浦野 美智子】

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花の道  川島 正仁
第3部 運命を神に委ねて(1)
まず稲毛の実家に帰った。家族の誰もまだ私が結婚したとは夢にも思っていなかった。結婚をいかなる場合にも無視してきたからだ。しかも、その妻は妊娠している。彼女の実家は愛知県岡崎市にあった。徳川家康の出生地である。妻がそこの出身だなんて尋ねたこともなかった。
 メキシコで結婚式を挙げたので、私としてはそれで十分と思ったが、妻の実家では披露宴をどうしてやりたいというのでOKし、名古屋市にあるホテルで披露宴を行った。私の方は両親と弟の博志が出席した。残りは皆妻の関係者だった。妻はすでに妊娠していたので実家に残るという。
 彼女の家は岡崎市の東岡崎駅の近くにあり、小さな商売をしていた。とにかく私にはガイド、添乗員の仕事があった。途中とぎれてはいたものの、私の仕事の評価はかなり良かった。幸いなことにガイド課の責任者は代わっていなかった。「おー川島君か。無事だったか?それじゃまた仕事を頼むよ。でも今度は少し長く続けてくれよ」こんな調子だった。3日も待つと早速仕事の依頼があった。
 この仕事もなかなか面白い。冷静な目でお客さんを見ていると、実にさまざまな人がいる。皆性格が違う。ベテランのお客などは最初から我々にチップをはずむ。そうすればいろいろサービスが違ってくるだろうから。最後にあげても後は別れるだけだ。
 ある時、コカコーラのインセンティブツアーがあり、500名のお客をメキシコに送ることになった。500名といっても一度に送るわけではなく、30名40名と10数回のグループに分けて送る。当然ローカルスタッフが現地でテイク・ケアするわけだが、こちらからも誰かコーディネーターをというわけで私が選ばれた。なんてことはない、一番の仕事はショッピングコミッションを確実に取ってこいということだ。ローカルだけにまかせておいてはいいようにされてしまうからだという。とにかく他社との競合もあり安くたたかれているので、少しでも利益を出したい。大変な役だ。
 私がメキシコを訪れるのは半年ぶりだ。先にマヤ遺跡ツアーの添乗員として2度ばかり来ていた。前回はローカルの手配ミスで飛行場にガイドもバスも着いていないというトラブルがあった。それを見事に解決したのは他ならぬ私であった。とにかく2年間も大使館で同じようなことをしていたのだから、私にとっては造作もないことであった。その時はローカルエージェンシーの社長自らおわびにきて、いろいろもてなしてくれた。日本でスペイン語ガイドをやっていた時が懐かしく思い出された。 そういう経験もあってM旅行社として私がコーディネーターで来ているということで社長、専務はじめ皆気を使っていた。

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