願いも空し、美浜のシンボル消える

千葉市”こじま”の取り壊しを強行!
保存会は12,000人の署名集め歴史に残る運動

ついに役所の厚い壁を破れず
保存会が「こじま」にお別れ式
天も涙、県内外から280人が集う
戦中の海防艦として、戦後の引揚げ船として、そして気象観測船として長い間働き続け、引退後は千葉市美浜区で海洋公民館として大人にも子供にも親しまれてきた『こじま』は、地元はもとより全国から「保存して欲しい」という一万五千名の保存署名の願いも空しく、ついに千葉市によって解体工事が開始されている。
こじまの保存運動を続けてきた「文化遺産こじまを保存する会」は、先月十八日(日)午後一時、冷たい雨が激しく降りしきる中、数奇な運命を歩んだ「こじま(志賀)」の労を称える“お別れ式”を挙行した。
儀式は、浅間神社小倉玄次神職による祝詞(のりと)、玉串拝礼など一連の神事を厳粛に執り行い、お神酒を拝戴した。
千葉市消防局の音楽隊が「ボギー大佐、宇宙戦艦ヤマト」などを演奏。関直継保存会代表の「惜別の辞」、寒竹・海岸通り商店街会長、来賓などの挨拶と続き、最後は音楽隊の演奏で「蛍の光」をみんなで合唱、最後に船の甲板に入り見学、名残りを惜しんだ。

市消防局音楽隊の「蛍の光」で惜別
「私たちは君の姿をそのまま残すため、一生懸命市役所に働きかけてきましたが、一度決まったことは変えないという、役所の厚い壁を破ることはできなかったんだよ」
そんな思いを込めて「文化遺産こじまを保存する会」(関直継代表)は、一月十八日午後一時から『こじま』のお別れ会を同船が浮かぶ専用池に隣接する、千葉市美浜区高洲プール駐車場で行われた。
この日は悲運の船の最期を惜しむように、冷たい冬の「涙雨」が一日中降り続いた。
会場には東京、神奈川、埼玉、栃木、地元の大人から子供まで約二百八十人が傘をさして見守る中、テントの中では保存する会の代表メンバー、地元、河野県議や布施、中野渡市議、商店会、町内会関係者の立ち会いのもと、神棚を祭り、浅間神社小倉玄次神職が厳かに祝詞奏上、玉串拝礼などの神事を行い、お神酒を呑み交わし、「こじま」に別れの儀式を行った。
このあと、千葉市消防局音楽隊が「ボギー大佐」、「宇宙戦艦ヤマト」、「海ゆかば」を演奏。こじま保存会代表関直継氏が「こじまが、地元市民のシンボルとして親しまれ、平和と美浜区発展につくされたことを感謝する」と惜別の辞を述べた。また、稲毛海岸通り商店会会長寒竹郁夫氏は、こじま保存運動の経過を説明。「一万名以上の署名者の気持ちに対する明確な返答がないまま、解体されることは誠に残念である」と述べた。 栃木県那須町にある「戦争博物館栗林白岳館長は「こじまの一部を博物館に展示、永遠に顕彰したい」と語った。
第二十区地区連清水保博会長は「保存運動を続けてきた皆さんの努力に感謝する」と挨拶。河野県議、布施市議は来賓として挨拶、最後にみんなで、市消防局音楽隊の演奏にあわせて「蛍の光」を合唱すると涙ぐむ人もいた。

保存の話し合いなく
現存する最後の旧帝国海軍の軍艦で団地に浮かぶ船の公民館として、長く市民に親しまれてきた『こじま』は旧日本海軍の海防艦として終戦を迎えた。その後は気象台の観測船、海上保安大学の練習船として活躍。広島県の呉市と争って、千葉市が引き取ったのは一九六六年のこと。それ以後、海洋公民館として利用されてきた。
しかし、建築基準法や消防法とのかね合いから、一九九三年に海洋公民館は閉鎖、その後は千葉市も手入れをしないため、老朽化が進み、維持費がかさむため、市は平成九年度の予算に取り壊し費用を計上、市議会で可決された。
この取り壊し決定は地元には一切事前に知らされなかった。『こじま』取り壊しを知った地元住民や商店街の人達は、「文化遺産こじまを保存する会(関直継代表)、稲毛海岸通り商店会(寒竹郁夫会長)を中心に取り壊し反対の署名運動を展開、千葉市長や千葉市教育長などに「文化遺産としての価値が高い」として一万二千名の署名簿を提出、保存を訴えてきた。
この保存運動は、本紙報道を契機に全国的に広がり、旧海軍関係者や自衛隊関係者、海事研究家、船の愛好者など多数の人に盛り上がり、日本テレビやNHKハイビジョンでも放映されるなど多くの話題を集めた。
千葉市が公民館廃止条例に基づき取り壊しを決め、長い間地元に親しまれてきた『こじま』の雄姿は消えることになったが、保存運動を続けてきた人達に対して、署名運動や要望、保存方法など一度の話し合いもなく、当初の計画通りこのほど取り壊しを強行することになった。
なお、市教委は「三月中には解体を完了するが、スクリューやマストなど、できるだけ保存し、細かな部品は稲毛記念館などで展示したい」としている。保存される海保大の練習船時代のスクリュー、操舵輪、操舵用磁器、羅針儀、模型など約五十点は稲浜公民館に仮保管。マストや三個の錨も船体に隣接する公園に保存するという。

布施議員が扉をこじ開け船内開放
非常ベルが響きわたる中、甲板など見学
文化遺産こじまを保存する会が、千葉市教育委員会と事前に打合せてお別れ会当日、「こじまの内部を見学させる」ということで周辺の小中学校にもその旨連絡していた。
このため、氷雨が降りしきる中、四〜五十人の子供たちが、傘をさして早くから集まって「こじま」の中にはいることを楽しみに待っていた。
ところが、中に入るにも肝心の鍵がない。「教育委員会の人もお別れ会に出席、挨拶をして、こじまの鍵を開けてくれる約束していた」(関代表)のに誰も来ていない。
このため、布施貴良市議会議員が「私が全責任を取る」といって封鎖されているこじまの入口の扉をこじ開けた。と、とたんに非常ベルが鳴り響いた。「かまわん、みんな中に入って見学して下さい」と、布施議員の言葉に、出席者全員が安心してこじまの甲板だけ入ることだけはできた。
子供たちは大喜びで船内を見学した。大人も記念写真をとったり船首に上ったりして名残りを惜しんだ。
後日、教育委員会山本社会教育課長補佐は本紙に、「こじまの鍵を開ける約束をした覚えはない。お別れ会の案内状はいただいた。松井市長は教育委員会に任せるといったが、飯田教育長は『オレは出ない』と言った」と答えた。
関代表と布施議員は「鍵を開け石井課長が出席し挨拶する約束だった」と話した。当日は、社教課職員は全員、鴨川に慰安旅行をしていたので出席できなかったらしい。


詳しい内容は本紙2月10日号をご覧下さい!

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