155,000部発行
2007年7月5日
通巻第130号
年間郵送購読料3,000円
稲毛新聞
 発行責任者/佐藤 正成  発行/(有)稲毛新聞社 〒263-0043千葉市稲毛区小仲台2-5-2 TEL043-256-4414(代)FAX043-256-4494
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星霜録
 もう忘れている人もいるかも知れないが能登半島地震が起きてから3ヶ月あまり過ぎたが、その被災地を訪問する機会に恵まれた。M6という大きな地震のわりに死者が1名と最小限で済んだことは不幸中の幸いだが、今もなお道路や住宅破壊の爪あとが至るところに残っていた▼地震の影響で1ヶ月以上も休館したという和倉温泉の風光明媚な某ホテルに宿泊したが、台湾からの宿泊客が多いのに驚いた。しかも、聞くところによると能登空港に毎週1、2便の台湾のチャーター機が飛んでくるという。そのホテルに台湾の李登輝氏の写真が飾ってあったので、すぐ謎が解けた▼李登輝氏の論文の一説に「石川県出身の八田與一氏は台湾北西部の平野2万2千ヘクタールの不毛の地にダムを建設し、川からの水路の途中に溜池を数多く配して、雨水をも蓄えようという大灌漑工事を9年ほどかけて完成させた。そのお陰で不毛地帯が一大穀倉地帯となり米の収穫量は4倍になった」▼八田與一氏は日本ではあまりよく知られていないが、台湾の人々にとっては大恩人であり、神様のように思われている。その八田氏の故郷である能登に台湾の観光客がたくさん訪れるのは不思議ではない▼日本人をよく理解している李登輝氏の教育の賜物である。(正)
◎二十歳まで日本人でしたと胸を張る李登輝氏よ恙なくあれ
◎その教育は喉元まで今もとよくぞ君よくぞ申されしよ跪きたし
中央区松波 岩川英子

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歴史検証シリーズ49 千葉知事選の裏話
県政史上に記録≠ニして残る知事・副知事の争い
 千葉県は群を抜いて?£m事交代のたびにゴタゴタを起こしてきた。何しろ前号で紹介したように、2代目・柴田等知事から始まったのだから、これは名誉なことではないが、全国的にもあまり例を見ないことだろう。そこで、このシリーズの最後として、第4代知事・友納武人氏と、第5代知事・川上紀一氏とのすさまじい≠ニ表現してもいい、争いの裏話≠紹介して、このシリーズの最終回とする。

県政運営の考えが根本的に違っていた2人
 話が唐突で、読者に申し訳ないが、昭和48年4月某日、県知事応接室に朝日・毎日・読売・日経など、東京に本社のある日刊紙、それに千葉日報・時事新報などマスコミ各社の千葉支局長が集められた。
室内には大きな黒板が掲げられ当時の友納武人知事が説明を始めた。
「ご存知のように、海の埋立てによって県の面積は大きくなり、千葉市役所も新しい埋め立て地に新築移転しました(読者はご存じだろうか?千葉市役所は現在の県企業庁の建物だった。あの程度の広さで千葉市政を行っていたのである)。
 友納知事は続けた。
「ついては新しく埋め立てで生じた土地を新聞社にも分譲したいと思います。
千葉市役所が移転した一帯には今後、県の公共機関、ホテル、大型飲食施設などの進出も決まっており、千葉市の新しい中心街になります。分譲する土地には、できれば支局を置いていただきたい。それと特別に分譲するので、他に転売して儲けたりしないようにしてください」
 友納―川上両知事の争いに、あまり関係のなさそうな話を冒頭に紹介したのは、友納・川上両氏とも千葉県の発展に心血を注いだのは評価していいが、友納氏の県政運営に川上氏が副知事時代から拡大主義第一でなく、もっと地道に県発展の政策を展開すべきだ≠ニ考えていた。
その例として、この新しい土地分譲を新聞社に優先したことは表には出さなかったが、マスコミ対策として批判的だったことを分かっていただくためである。
 表現を変えれば派手の友納、地道の川上≠ニ言っていいかも知れない。
 千葉県政史上に記録されるべき友納―川上両氏のすさまじい争いが展開されたのは友納知事の4選出馬を巡ってのことだった。
 昭和38年2月に加納知事の急逝で、思いがけなく早く£m事の座に就いた友納氏は、実は柴田知事時代の昭和34年3月に、いったん退任して古巣の厚生省(現厚労省)に戻っている。そのまま厚生省にいたら友納知事誕生≠ニならなかったは筈だが急死した加納知事の時には厚生省から再び千葉県に戻っていた。
 友納知事は就任1年近くもたった昭和39年1月に総務部長だった川上紀一氏をやっと副知事に登用している。友納知事と川上副知事の間には当初から県政運営政策について基本的な差があった。開発至上主義をとる友納氏に対して、川上副知事は県の内政充実を掲げていた。

 川上氏の対抗馬≠ノ大橋教育長を引き出す
 2人をよく知る人はこう言っている。「知事・副知事だというのに、2人の間に友好的なところは見られなかった。あの仲の悪さは異常と言ってよかった。
 例えば、宴会の席などで2人が終わるまで同席していた姿を見ることはなかった。別々に来て、1人が来ると先に来ていた方は席を立って帰ってしまう。「あれで県政がうまく運営されるのか」と、心配するほどだった。2人の対立は、友納知事の3選目任期満了となる昭和48年に、その頂点に達する。従来から知事は3選目まで≠ニいうのが、暗黙の了解だったが、友納知事は、あえて4選を目指して運動を始めていた。
 友納氏にとっては4選を目指すのも目的の1つだったが知事の座≠川上氏に譲りたくないという意図も働いていたのかも知れない。一方、川上副知事の方は従来の慣行から、友納氏の4選などあり得ず、自らが友納後≠フ知事と思っていた。
 ところが自らの4選出馬が無理と見た友納氏は後任候補に、周囲の誰もが予想していた川上副知事を推さず、当時、県教育長だった大橋和夫氏を推したのである。友納氏は昭和49年3月の県議会で、4選不出馬を公式に表明した。
 一方、8月には川上氏が副知事を辞任。友納後≠フ選挙戦は、川上―大橋両氏の一騎討ちとなり、結果は自民党県連の推した川上氏の順当な勝利となった。
 この選挙対策で川上氏は千葉博報堂、大橋氏は新涛社の宣伝をバックに戦った。友納氏の後継として大橋氏を応援した新涛社は千葉県が発行する写真誌「ニューライフ」の編集製作担当を請け負っていた。大橋氏が敗れたため、勝利した川上氏はこの仕事をご褒美として千葉博報堂に任せるようになった。
 知事選に敗れた大橋氏は、その後、船橋市長となって、船橋市発展に力を発揮したことは周知のとおりである。大橋氏の処遇に、友納氏がいろいろ手を打った≠アとは、この稿の本筋でないので触れない。
 昭和56年1月に川上知事は、県政史上に今も語り草≠ノなっている「5千万円念書事件」に巻き込まれ、不本意な退陣をする。
 川上知事以降は、副知事の沼田武氏が順当に知事になる。
 沼田知事から現在の堂本知事になる過程でも、いろいろな紆余曲折、自民党県議会議員団の駆け引きがあったが、これは今回のシリーズの本題ではないので別の機会にふれてみたい。
(終わり)

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学校物語 112 千葉市立大宮中学校
総合学習で福祉・環境・国際理解の学習に取組む
若葉区大宮町にある「千葉市立大宮中学校」は、昭和48年に創立した。 教育目標に「豊かな心を持ち、自ら学ぶ生徒の育成」を掲げ、「他人の気持ち・立場を思いやり、協力し合う生徒」「目標を持ち、達成するために努力をする生徒」「自ら考え、その考えを表現できる生徒」の育成に努力をしている。全校生徒261人。
 同校では、総合的な学習の中で、福祉や環境や国際理解の学習と実践に取組んでいる。1年生は「福祉」をテーマに掲げて、大宮台小学校の5年生の児童と合同で、車椅子体験やアイマスク体験などのシニア体験学習を実践している他、千葉市立養護学校を訪問して一緒にゲームを楽しんだり、卒業のお別れ会に養護学校の生徒を招待するなど、交流を深めている。
 2年生は「環境」をテーマに、清掃工場の見学や都川周辺と団地内のごみ拾いを実践し、学習した事や調査結果をまとめて発表した他、近くにある谷津田の水の状態や木の状態、昆虫の様子などをフィールドワークで事前に調べて、市の環境に関する出前講座を受講した。
 3年生は「国際理解」をテーマに、外国の文化や教育や自然環境などについて事前にインターネットで調べた上で、千葉大学の留学生を数人招いて話を聞き、異文化の研究に取組んだ。夏休みの間には、必ず1回はボランティア活動に取組むことにしており、生徒たちは地域の盆踊りの太鼓をたたいたり、夏祭りの模擬店のお手伝いや学校内の修理・掃除、歩道に花を植えるなど、様々なボランティア活動に励んでいる。
 文化祭は毎年11月に開催。青葉の森公園芸術文化ホールで合唱コンクールと芸術鑑賞が行われる。
 昨年度は能と狂言を鑑賞。今年度は琴や尺八や三味線などの演奏会を鑑賞する予定。部活では、女子ソフトテニス部が今年度の千葉県中学校ソフトテニス選手権大会で準優勝に輝くなど大活躍をしている。また、吹奏楽部は、近隣の老人ホームを訪問して演奏会を行うなど、地域のボランティア活動も盛んに行っている。 
【取材・浦野美智子】

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サークル紹介 津軽三味線同好会「ちば遊弦会」
民謡を中心に合奏を楽しむ
津軽三味線同好会「ちば遊弦会」は、4年ほど前に千葉市文化振興財団主催で開催された津軽三味線教室に参加した受講生の有志が集まり、平成16年4月に結成。毎月第2・4土曜日の午後1時から5時まで、中央コミュニティセンターの和室で活動中。
会員は、小学生が1人と40代から60代までの男女11人。じょんがら節や津軽民謡、房州大漁節、花笠音頭、ソーラン節、秋田おばこなど、民謡を中心に合奏の練習を重ねている。名取の資格を持つ会員が指導にあたっている。
津軽三味線は弦が太く、弦をはじいて演奏し、太鼓と三味線の両方の音が出るので迫力がある。親子三代夏祭りや老人ホームなどに出かけて演奏活動も行っている。会員は「民謡が大好き」「三味線の音色が好き」「テクニックは難しいが楽しい仲間とともに演奏を続けたい」など意欲的だ。
 初めての人でも三味線を借りることができるので安心です。会員募集中。
 問合せはTEL.278―0380(神尾)。
(取材・浦野美智子)

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市民ガイド
千葉県立美術館 ユトリロ展
−モンマルトルの詩情−近代フランスを代表する画家、モーリス・ユトリロの物静かで侘びしげな緻密で美しい画風は多くの日本人に好まれている。本展では初期から晩年に至るまでの作品約80点を紹介、うち30点余は日本初公開の作品です。▼期日・7月14日(土)〜8月26日(日)▼時間・9:00〜16:30*休館日月曜日(7月16日は開館し翌日休館)▼入場料・大人800円(640円)高・大生400円(320円)カッコ内団体料金▼問い合せTEL.242-8311(中央区中央港1-10-1)
たすけあい美浜7周年記念 文化ホールオープニングチャリティーコンサート(第8回)
▼日時・7月29日(日)14:00〜16:30▼場所・美浜文化ホール(美浜区役所隣)入場無料▼プログラム(1)クラシックコンサート・出演:御木マドカ(ヴァイオリン)安藤歩(ピアノ)平野暁子(琴)♪曲目・春の海(宮城道雄)鳥のように(沢井忠夫)メヌエット(ポッケリーニ)他(2)ジャズコンサート・出演:大原保人(ピアノ)スーパージャズトリオ(ボーカル 川島さわか)♪曲目・アンチエンドメロディー、アメージンググレース、朝日のようにさわやかに他★本チャリティー基金は千葉県ALS(筋萎縮性側索硬化症)協会に寄付させていただきます▼主催・訪問介護とボランティアの「たすけあい美浜」・「福祉の街美浜をつくる会」申込・問い合せ・美浜区高洲3-4-12-101(TEL.277-1230・FAX277-4649)
都はるみコンサート・プレゼント
(1)7月20日(金)市原市市民会館昼夜2回公演【昼】14:30【夜】18:30▼抽選で5組10名様ご招待(合計20名様)▼申込方法・住所・氏名・電話番号・ご希望の観覧時間を明記、官製はがきで〒160-0007東京都新宿区荒木町2-14-1アイエス「都はるみ公演稲毛新聞プレゼント」係▼締切7月12日必着★当選に洩れたかたにも公演案内を送付▼問い合せ及びチケットのお申し込みはアイエスTEL.03-5269-5356まで。
千葉でちょっと気軽にオペラ
プッチーニ「トスカ」。有名なアリア「歌に生き、恋に生き」「星は光りぬ」をお楽しみ下さい▼7月22日(日)7月28日(土)8月5日(日)15:00開演▼会場・はなみがわ風の丘HALL(JR新検見川下車徒歩9分東大グランド通り沿い)観覧料・一般自由席4,500円小中高校生1,000円▼問い合せ・申込み・TEL.273-4217
ギャラリー古島
▼「中盛久美子作陶展」7月6日(金)〜11日(水)「中島尚子水彩画展」7月13日(金)〜23日(月)(7月19日休廊)★7月24日〜8月30日夏期休廊▼問い合せ・TEL.243-3313ギャラリー古島(JR西千葉駅西友側徒歩1分)
在宅ケア公開講座
▼日時・7月29日(日)13:00〜16:15▼内容・第1部「地域在宅緩和ケアチームを目指して」小澤竹俊氏、第2部「在宅医の早期参加に向けて」渡辺敏氏、第三部「在宅ケアQ&&A」小澤竹俊氏、渡辺敏氏▼場所・千葉大学 大学院人文社会科学研究科マルチメディア講義室▼主催・NPO法人千葉・在宅ケア市民ネットワークピュアTEL.070-5554-3734
コーラスとどろき演奏会
▼日時・7月8日(日)午後2時開演▼会場・千葉市文化交流プラザ・音楽ホール▼入場料・(全席自由)1500円▼指揮・榎本潤、ピアノ《特別出演》ヴォーチェ・ブリランテ(宮崎県)♪曲目・赤き花の魔睡、昭和の名曲メドレー」他▼主催/問い合せ・コーラスとどろきTEL.251-0037(三枝)
ギターアンサンブル
千葉市民活動センター昼だまり広場2007▼日時・7月21日(土)12:00〜13:00★参加費無料▼会場・千葉市民活動センター(中央区千葉港2-1中央コミニュティセンター1階)▼出演・ギターサークル・アルモニコス♪曲目・沖縄メドレー他▼問い合せ・TEL.245-5689 FAX245−5688
英会話L I A
ちょっと頑張れば6ヶ月で日常会話が話せます。低料金です。20年の経験のある外国人講師経営者自身が心を込めて効果的に教えます。大人も子供もOK他学校で上達しない方ぜひ当学校で早く上達して下さい。60分の楽しい授業。JR稲毛駅徒歩3分気楽にお電話下さい。良心的です。英会話LIATEL.253-4533
カルチャーセンター稲毛 生徒・教室利用者も募集!
会議・研修会にもどうぞ。ステンドグラス、マミフラワーデザイン、トールペイント、英会話、油絵、書道、ろう造花、手書き染め等。問合せはC244・3989【無料建築相談会】初めての家づくりプランニングから業者選び、資金計画まで▼日時・7月28日(土)午後1時〜3時▼問い合せ・アイム設計C244・398

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今月の人
美浜区倫理法人会会長 吉田 平さん 47歳
挨拶から、人と人とが信じ合える地域を 平和交通・団地交通・西岬観光代表取締役に就任した
 平和交通(有)・(有)団地交通・(有)西岬観光の創業者で3社の代表取締役を務める吉田裕成さんは、株主総会を開き、6月1日付けで取締役会長となり、次男の吉田平さんを3社の代表取締役に決定した。
 父の意志を引き継いだ吉田平さんの経歴は 大学卒業後、(株)リクルートに12年勤めたが、父の要請で3社の仕事をするようになった。この5月末までに取締役・経営企画室長を務めてきた。
 平和交通(有)と(有)団地交通は千葉・稲毛・検見川・幕張等の地域でバス事業を展開し地元の人々には多く利用され馴染み深い。(有)西岬観光はタクシー事業をしている。
 3社とも「地域の皆様と一緒に」をモットーに、良いものは積極的に取り入れサービスに生かす、明るい社風が特徴だ。
 例えば平和交通では、全国初の女性乗務員の採用、子供110番、クリスマスイベントなども実施している。また、吉田さんは、経営者を対象とした異業種早朝勉強会「美浜区倫理法人会(会員数100社、毎週火曜に経営者モーニングセミナー・朝食会を開催)」の会長を務め、経営者たちが「自らの人格を磨き、より良い会社経営を」と、朝6時から勉強する会のリーダーとして信頼されている。
 吉田さんは「まず自分の考えをはっきりと伝え、自ら先頭に立って行動する。自然と周囲の共感・協力を呼び、会を発展させていく」という姿勢は人望が厚く、経営者の目指す姿として、また会の運営の良き手本として、将来が期待されている。
「まずは挨拶から日本を良くしていきたい」と、いつも明るく元気な挨拶を心掛けている吉田平さん。
 今回の社長就任にあたり「父は、『人を信じる』ということを大切にして、地域の皆様に喜んで頂ける会社を作ろうと努力してきました。私も創業者である父の理念を大切に、継承していきたい。そして夢は、千葉市初の、地球環境に優しいLRT(路面電車)を走らせることです」と今後の抱負を語ってくれた。
平和交通(有) ホームページ http://heiwakotsu.com/
(有)団地交通 ホームページ http://www.askabus.com/
【取材・渡部成夫】

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花の道  川島 正仁
第4部 逃げていく仕事 飛び込んでくる仕事(5)
 鈴木さんに連れられてセニョール・レージョに会いに行った。彼は大柄なまさしくメキシコ人そのものであった。実に口の達者な調子のいい人間であった。
 なにはともあれ彼とこれから一緒に仕事をしなければならないのだ。しばらくホテル住まいだったが、その後私達はエージェントのきわめて近くにある2LDKのアパートに移り住んだ。歩いてわずか1分のところである。
 ここから本社までも10分もあれば歩いて到着できた。我々のアパートは日本で言うマンションで外面は実に格好良かった。
 新しいエージェントは私とセニョール・レージョ、そしてセクレタリーのたったの3人の事務所だった。 しかし、レージョはすでに何人かの顧客を持っていた。まず彼と一緒にそれらのお客を訪問した。わが旅行社の売り上げのほとんどすべては国内線のチケットにあった。国際線の場合は親会社のメキシコ観光に頼んだ。したがって国内線のコミッションは9%だが国際線のほうは4%だった。
 国際線のチケットを売るには、それなりの条件を満たさないと認められない。
 特に大変な条件は、半年間の売り上げのコミッションを預けておかなければならないことだ。私の仕事はレージョとチケットの売り上げを伸ばすことにあり、それと同時に鈴木さんの特命でレージョの不正を管理することにあった。
 要するに彼のセールスした売り上げが正確に会社に入金されているかをチェックするのだ。
 メキシコ市内にある日系人企業の数は限られているので、我々の目指す点はメキシコ人の企業を顧客に取り入れることだった。
 しかしながら、旅行社の仕事というビジネスは口先のうまいメキシコ人に合っているとみえて、大きいものから小さいものまで含めると、その数は数千社にのぼった。一人でもできるからである。
 そうしたわけで企業の多くはすでに特定の業者と結びついていた。その中に割って入るには大変な努力を要した。
 そこで私はアウトバウンド、すなわち海外ツアーのセールスをやるようにした。何しろメキシコ人にとってオリエントは夢の国である。
 日本といえばゲイシャの国、サムライの国であった。日系旅行社メキシコ観光にとつてはオリエントツアーを開拓することが会社が発展するキーポイントであった。プライスがはるので、20名のグループでも作れば何万ドルという売り上げに到達した。私にとってもはるかにこちらのセールスの方がしやすかつた。
 日本人であることが重要なセールスポイントになり、お客も簡単に信用してくれる。私は日本でガイドをしていたのでさらに有利であった。  (つづく)

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